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「学習」はいつまで続くのか

社会人になった当初、「まだこんなに勉強しなければならないのか?」と思った記憶がある。 私の場合、製薬メーカーの営業担当だったこともあるが、現場に配属された後も、継続的に学ぶべきこと、学ぶ機会が数多くあったように思う。今の新入社員も同じように「会社に入ってまだ、勉強?」と思っているだろうか。


社会人になった当初、「まだこんなに勉強しなければならないのか?」と思った記憶がある。
私の場合、製薬メーカーの営業担当だったこともあるが、現場に配属された後も、継続的に学ぶべきこと、学ぶ機会が数多くあったように思う。

今の新入社員も同じように「会社に入ってまだ、勉強?」と思っているだろうか。
「いつまで学び続けなければいけないのか?」というと、おそらく、社会人をやっていく以上、永遠に学び続けなければならない。

P.F.ドラッカーは、「企業家社会は継続学習を必然のものとする。これまでの社会では、学習は、青年期あるいは少なくとも社会人になったとき完了するものと想定できたし、事実その通りだった。二一歳までに学ばなかったことは、それ以後において学ぶことはなかった。半面、二一歳までに学んだことは、その後の人生において、そのままずっと使うことができた」(『イノベーションと起業家精神』p.315,上田惇生訳,佐々木実智男訳,1985,ダイヤモンド社)と書いている。

弊社には、プロの集団として存在し続けるための条件として「専門技術の修得と錬磨」という言葉がある。

修得も錬磨も両方やり続けないといけない。修得して終わりではない。
永遠に修得と練磨を怠ってはいけないのだ。なぜなら、世の中が変わり続けるので、適応し続けるには、新しいことを学ぶ、挑戦するということが必要だからだ。

今は、多くの学習がデバイス上で完結してしまう。
かつては知識やスキルを得るには、本や雑誌を読み、知識のある人に教えを請うなど、非常に大変だったし、得られる知識の量やスキルの質も限られていた。
かつ、実践で学ぶことも多く、周りの人の協力、援助、場合によってはお客様の協力がなければ、学ぶことができなかった。

それと比べると、今、学ぶための環境は充実している。後は、何をどう学ぶか、どんなスキルを磨くかだが、その指標が重要だ。
指標となるのは、自らの「仕事の目的」であり「何をもってお役立ちするのか」ということだと私は思う。 私たちの仕事は、状況、時代環境に応じて変化し続ける。
定型業務というものがないことはないのだが、それすら、どんどん変化する。
だから、何のための仕事かという指標を失うと、取り残されていくのではないか。

かつて鉄道会社の駅員は、鉄道の安全安定運行のため、旅客をコントロールすることが仕事だった。今も安全安定運行に寄与することは主業務であり、主要な仕事の目的である。
しかし、それらの業務である切符の販売やホームでの保安業務は、機械が代替するようになった。
今は、鉄道の楽しさを伝え、快適な旅客の環境づくりが重要な仕事になってきている。

 

20210706ジェックメールマガジンより

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